ペトリコールって知ってますか?
街を歩いているとき、駅のエレベーターで、そこかしこで
名前も知らない目の前の人をふと抱きしめたくなるときがある。
その人のことを知りたいとか、そういうのじゃなくて
ただその瞬間のその人がどうしようもなく切なく感じる。
今ここにつなぎとめておかないと、消えてしまいそうな、
そう、
「儚い」という言葉がそのままそこに存在しているような、
そんな感覚がするのだ。
*
中学生のとき、担任の先生は教室でわたしたちと一緒にお昼ご飯を食べていた。
お弁当は近所の仕出しやさんのお弁当。結婚はしていたと思うけど。
その先生がお弁当を食べる姿がなんとも胸を締め付けて仕方なかった。
わたしは正直その先生がそんなに好きじゃなかった。
だけど、お弁当を食べるシーンだけは、なぜかじっとみてしまう。
それで一人勝手に切なくなる。
そして、それを今でも覚えているということ。
これはいったいなんなのか。
*
人と人との関係は、言葉になっていないものが多いと思う。
雪には、細雪(ささめゆき)とか、霙(みぞれ)とか、粉雪とか、その種類によってたくさん区別があって
色にも、浅黄色(あさぎいろ)とか藍色とか琥珀色(こはくいろ)とか、たくさんの名前があって
だけど、人間関係には、あんまり明確なものがない。
それは、言葉という、画一的な表現にはできない複雑さが伴っているからなのだろうか。
*
雨が降り始めたときにするアスファルトの匂いが、昔から好きだった。
まさかこの匂いに名前があるなんて思っていなかったのだけど、わたしが好きなロックバンドGOOD ON THE REELの曲で「ペトリコール」というのがあって、その曲が雑誌に書かれていたときに偶然知った。
あの匂いはペトリコールというのか。
ペトリコールという名前は、リンゴやカステラみたいに知名度はなくて、人にはあんまり伝わらない。
だけど、あの匂いに名前がついたことで、その存在がたしかに在るということが、強くなった気がする。
だから、
人間のたくさんの複雑な関係にも、名前をつけて、その関係が確かに在る、ということを肯定したいと思う今日この頃。